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2016年9月12日 (月)

ハゴちゃんが亡くなりました②

記事があまりバラバラにならないように

ハゴちゃんが亡くなったことをお知らせした記事を①としました。

 ハゴちゃんが亡くなりました①

今日の記事は②としました。

                 8月6日に来られました東京の会員さんから

                 綺麗なお花が届きました。どうもありがとうございました。↓ 

20160905_89_2

ハゴちゃんが亡くなって、3週間が経ちました。

どんな風に、ハゴが頑張って、最後の日々を生き抜いたのか

私自身にも記録となりますので・・・

 

また、『馬の瞳を見つめて』の続編を書けないでいる中

「ブログが一部、続編の代わり」という意味も込めて・・・

 

馬という動物が亡くなる時の詳細は、なかなか公開されることがありませんから

1頭の馬の生涯の一面を

少しでも知っていただけたらという思いで

少し詳しく書きたいと思います。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

8月に入ってから、浦河らしからぬ蒸し暑い日が多くなりました。

 

ハゴは、一度寝ると、起きるのに苦労するようになり

長時間目を離さないように

夜中も2時間ごとにアラームをかけて起き、暗視カメラで確認していました。

 

16日の明け方、3時頃に、とても苦労して、やっと起きました。

ハゴ自身が頭を起こした隙に、ワラを沢山押し込み

頸(クビ)から肩を支える壁のようにしました。

 

この時に、ハゴ自身は

なかなか起きられなかったことがショックだったようでした。

この後、4日間近くも・・・19日の21時過ぎまで

ハゴちゃんは寝ようとせず、立ったままで頑張っていました。

 

4日目あたりには、食欲も落ちて、ただ、北西の壁に向いて佇み

時間が経過しました。

前脚の蹄が痛いので、特につらそうに見え、心配しました。

 

そして、やっと寝た後

2時間ほど、そっとしておいて休ませた後

もう起こさなくてはと、3人で45分くらいかかり

人間の手を貸して、ハゴちゃんは起きることができました。

 

起き上がろうとする時に

一旦は両前脚を折りたたみ

その直後に、両前脚を伸ばして踏ん張って立ち上がるのですが

前脚をなかなか自力で伸ばせなくなりました。

当たりの柔らかいロープを前脚の繋(つなぎ)に縛り

ちょうど良い瞬間に私がロープを引っ張りました。

 

立ち上がりかけの時に腰がフラフラして危なげなのを

牧場長と次男が両側からお尻を支えて、安定させました。

 

この後もまだ相当疲れていたのでしょう。

1~2時間立っていただけで、また横になって寝てしまいました。

そして、また2時間を目処に再度、起こしました。

起こすのにかかる時間が、回を重ねるごとに長くなっていきましたが

起きることができていました。

 

元々が内科の病気なので

高熱が出たり、鼻を大きく膨らませて、お腹も速い動きになり

呼吸が苦しそうな時もありました。

 

獣医さんの注射で熱が下がると

また、穏やかな顔で美味しそうに飼い葉を食べていました。

あどけない顔でもくもくと食べている姿を見ると

ハゴの安楽死を意識するようになっていた私も

「ああ、今は、生きているんだ」

と実感し、生きている瞬間を確認することができました。

 

日ごとに、容体は悪くなっていきました。

『1日ごとに階段を1段ずつ下りるかのように』

という表現がぴったりでした。

 

 

関西にお住まいのオーナーさんは

『馬の瞳を見つめて』にも何度も登場していました。

ここでは、Sさん、と書きます。

 

Sさんは、平成3年7月

ハゴが渡辺牧場で生まれて約1ヶ月くらいの時に、初めて渡辺牧場に来られ

数年の間、ここで働いて、馬たちのお世話をして下さいました。

 

ハゴは競走馬引退が早かったので

帰郷して、今年はもう少しで22年が経つところでした。

 

ハゴの一生のうち

Sさんがハゴと離れて過ごした時間は、特に後半は長かったですが

ハゴの25年の生涯のほとんどを

愛情込めて、遠くから、近くから、と

見守ってきて下さいました。

 

ハゴが生きるためのお金を稼ぐために

つらい仕事もこらえて、働き続けてきて下さいました。

 

Sさんとは、動物に対する想いが同じでしたので

犬や猫を保護したり養ったり、共にしてきて

犬や猫や馬が死んでしまうと、一緒に泣き、一緒に悲しみ

お墓を作り、一緒にお線香をあげて拝み・・・

ということを

浦河に住んでいた何年間か

私と気持ちを共有していただけた存在でした。

 

Sさんは、当時、繁殖牝馬だったハゴロモイチバン(ハゴの母)をも

よく可愛がって下さいました。

ハゴロモイチバンは、渡辺牧場にとっての功労馬でしたので

繁殖牝馬を引退した後も天寿を全うするまで出さない(処分しない)と

牧場長からの許しを得ていたので

その余生は安心していました。

 

当時の私はまだ嫁に入って数年・・・

牧場経営のことなどわからないのに

現在のような発言権などは全く無く

ただ、「これだけは何とかお願いします」と

ハゴロモイチバンの余生については許しを得ていました。

それ以上はまだ、考える余裕や、基礎となる知識すら、持っていませんでした。

ネットなども無い時代でしたし、情報も乏しく

自分の体験で、それらを年数かけて得て行くしかありませんでした。

 

当時1才だった、ハゴの姉のエンジェルコールは馬体が普通に大きかったので

ハゴロモイチバンの後継繁殖牝馬にすると

牧場長は決めていました。

 

でも、1つ年下のハゴ(競走馬名はワールドワイド)は

体が小さくて繁殖牝馬には向かないとのことで

競走馬引退後の余生が心配な存在でした。

 

Sさんにしてみたら、ハゴロモイチバンの子は

1才のエンジェルコールも、当才のハゴも

同様に可愛かったのですが

こういう理由で、妹の方のハゴの将来を

Sさんが守って下さる・・・ということになったのでした。

 

 

ハゴの死が近いと思い

いつもは関西から年に1回来られていたSさんに、今年は6月に来られた後も

「もう一度ハゴに会ってほしい」とお願いして

9月末に来られる予定でいました。

 

でも、あと1ヶ月も持たないだろうと思い

よくよく考えた末

Sさんに安楽死による最期を看取っていただけるように

仕事の調整をしていただき、飛行機を変更していただきました。

 

安楽死はSさんが24日夕方に到着した後

2時間ほどでも、生きたハゴに会っていただいてから

夜7時くらいにしていただこうと、決断しました。

 

その時点では

これから来る台風の雨量によっては、山のお墓で埋葬ができるのかと心配しつつ

暑い時季なので、何日も置くと

遺体が傷む心配も考え合わせなければなりませんでした。

 

何とか、Sさんが来られるまで、ハゴちゃんの命を持たせたい・・・

 

牧場長と次男で、ハゴを起こすことが、いよいよ困難になった時に

一時的に天井から吊れるようにして、立った後は外すということで

細工も作っていました。

痛み止めは、朝晩、注射していただくようになりました。

 

ただ、Sさんも

「本当にハゴが苦しくなった時は、自分がいなくても、安楽死をしてあげてほしい」

と、おっしゃって下さっていました。

 

私も、いよいよの時は

「Sさんに看取っていただけるか?台風で土砂崩れにならずにお墓が掘れるか?遺体ができるだけ傷まないように・・・」

などという人間の側の都合は考えず

ハゴちゃんの立場で考えて、つらくないようにしてあげなければと

とにかく、できるだけ苦痛が無いように

この世から送り出してあげたいと

それは一番大切なことだと考えていました。

 

そういえば

角膜に傷がついていた左目の側ばかり下にして寝るので

寝起きに苦労するようになって、もがいているうちに

亡くなる前日くらいには、左目が全体に黄緑色になってしまい

もう、見えなくなっていたようでした。

 

日に日にハゴの体が朽ちていくようでした。

もうこの時点では、目が何色になろうと動揺してもショックを受けても仕方がなく

ただ、少しでも苦痛なく24日の夜まで持たせたい思いでした。

 

そして、21日の夜19時頃に、ハゴちゃんはまた寝ました。

この時は38.8℃の熱があり、呼吸が速く、つらそうでした。

19時15分頃に獣医さんが来られ

寝た状態のハゴちゃんに解熱剤を注射して下さいました。

 

 

21時頃

いつものように、苦労してでも起こすことができると願って

起こそうとしましたが、天井から吊ることも試みましたが・・・

無念・・・

悔しさを

どう表現したらよいのか、わかりません。

 

ハゴの熱は注射が効かず、39℃に上がっていました。

 

ハゴに食べさせようと、リンゴを沢山、用意していました。

この晩、寝ている時に、初めのうち

1個の半分を薄くスライスして、口元に向けると

美味しそうに食べてくれました。

人参もスライスを何枚か食べてくれました。

次男がポンプで解熱剤を飲ませ、水も飲ませました。

喉が渇いていたようで、美味しそうに飲みました。

 

食べてくれたのが、どのタイミングだったのか、覚えていません。

後で、いよいよつらくなった時は

もう食べられませんでした。水も飲めませんでした。

 

馬に立つ気持ちが無いと、人間がどうしてみても、立たせることはできません。

馬に立つ気持ちが出たタイミングに

手を貸してあげるのですが

もう、ハゴは前日までのようには、立ちたい気持ちがあっても

力が出せないようでした。

熱と、呼吸のせいもあったのでしょう。

 

私事ですが・・・

過去に病院のベッドで仰向けのまま、寝返りしてはいけなくて

横を向いてはいけなくて

何時間もそのままの姿勢で動いてはいけないと指示され

我慢しなければならない場面がありました。

体のあちこちに、痛いところがあった頃でしたので

余計につらくて、苦しくて、本当にたまらなかった苦痛の経験をしました。

 

ハゴちゃんの母、ハゴロモイチバンは、平成13年に

偶然、この、娘のハゴちゃんが最期を迎えた同じ馬房で

やはり、立てなくなって、安楽死をしました。

 

これも、「馬の瞳を見つめて」に書きましたが

ハゴロモイチバンには、横たわったまま、立てない時間が長くなったせいで

大変な苦しみを味わわせてしまいました。

人参を食べるとか、水を飲むどころではありませんでした。

ただ、ハゴロモイチバンは、刻一刻と時が過ぎるのをこらえていました。

 

大動物は体重が重いため

横たわって長時間置くと、自らの体重が内臓や血管などを圧迫してしまうそうです。

 

色んなことを考え合わせても

もう、限界と思いました。

仮に・・・仮に・・・

立てたとしても

ここまで前日よりも状態が悪化しているということは

明日は更につらい1日を過ごさせることになるだろう・・・

 

生きる長さよりも

生きる質が大切・・・

それも、わかっていて

ただ、Sさんに看取ってほしかった・・・

でも、それも諦めました。

 

そして、Sさんを待つのを断念して、21日夜、獣医さんに鎮静剤→麻酔薬→パコマを打っていただき

23時25分、ハゴちゃんは息を引き取りました。

 

「馬が寝て、起きられない状態を長時間、長引かせたくない」

「せめて、死ぬ時に、窒息の苦しみを感じないようにしてあげたい。手段があるのだから・・・」

そういう思いが強くありました。

 

獣医さんに電話をかけてから

獣医さんが到着するまでの待っている間に

2度だったか、3度だったか

ハゴは、少し顔を上げて

そばにいた私の顔を見上げました。

何を私に言いたかったのかな・・・伝えたかったのかな・・・

 

私は何度も

「大丈夫だからね。安心してね。向こうで、また会おうね。」

と顔を撫でて伝えました。

 

わかったのでしょうか。

もう一度、力なくでも起きようとさえしました。

どう考えたらよいかわからなく

自分のしたことが、正しいのか間違っているのかも

真実はわからないです。

 

ただ

「いつか来る時が来たのだ」

と思うしかありませんでした。

 

健康な馬たちの安楽死を何度も、何頭もしてきました。

しゃきしゃきにバリバリに元気な馬たちの命を

短く切ってきました。

そんな馬たちの顔を思い浮かべました。

 

一方、ハゴはこんなにも病気と闘って苦痛と闘って

少しでも長く生かしたいと悪戦苦闘して

安楽死の時も、間際まで、迷いました。

 

自分て・・・

何なのだろう・・・

わからなくなるときが、ふっと、あります・・・

 

でも

愛情の差で

命の長さ、短さが決まったわけでは、決してありませんでした。

 

人間もですし

動物たちも

1つ1つの魂ごとに、様々な死に方があり

その違いは大きいですが

それぞれが、宿命というのか

決まった役割、運命をある程度持って生まれてきていたのだとすると・・・

 

「まだこれからも生きていく残された命」は、その、「死に行く命」を見送って

「失敗も含めて経験から何かを学んだり

命を愛することを深めていったりすること」

「まだこれからも生きていく人間」の宿命なのかもしれないと・・・

 

そんなことを考えて、自分で自分をなだめるしかありませんでした。

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